
「土岐市と言えば?」
この質問に対して、みんなが口を揃えて「美濃焼」と最初に出てくるほど、土岐市では古くからの重要産業である美濃焼。
それならばとココトキのバトンは、美濃焼に関わりの深い陶芸作家さんや窯元さんへ!
今回のココトキインタビューでは、美濃焼を生業としている作陶家や窯元の4人が集まり、美濃焼について自由にお話いただきました。
知山窯 安藤 統 氏
1926年に創業「知山窯」3代目。
食卓をパッと華やかに演出する目の覚めるようなブルーが特長の「CHIZAN BLUE」等、オリジナル商品を世に出している。
玄保庵 加藤 保幸 氏
家業の上絵付けを手伝いながらセラテクノで絵付けの勉強に励む。やがて陶芸家として独自の作風を追及し日々作陶を行う。
作山窯 髙井 宣泰 氏
大学で空間デザインを学んだのち、24歳の時に故郷の土岐市へ戻り、「作山窯」を継ぐ。日常使いの器にこだわりを持つ。
陽山窯 水野 雅之 氏
「陽山窯」3代目。代々皇室献上品を作る由緒ある窯を守りつつ、オリジナルの作陶を続ける。令和元年「第37回 卓男賞」を受賞。
土岐市は世界有数の『焼き物の聖地』だ!
土岐市には古くから美濃焼産業が盛んだったため、焼き物に必要な土や釉薬などの原料が全て手に入る場所です。しかもそのどれもが高品質であることから、焼き物をするのに最適な場所なのです。
水野 「焼き物って色んな焼き物がありますよね。
そもそもやけど、土岐では美濃焼の定義はあらへん。
美濃で焼かれたもんを美濃焼と呼んどるだけ。経済産業省では決めとるけどね。」
加藤 「そうだよね。器だけじゃなくて自分が作っとるオブジェも『美濃焼』って言って良いのかなぁ?」
水野 「そりゃ土岐市で焼いてるんだから美濃焼でいいでしょ。僕は茶道具を作っているけど、美濃焼は器じゃなきゃいけないわけじゃないからね。
土岐市って焼き物に適した町で地場産業として発展してきたから、土の品質や釉薬の原料はもちろん、それを取り扱う商社さんとかも全部揃ってるでしょ。焼き物に関する全てが高い品質で揃う。 流通だってそう。ここは焼き物では世界一の街だと思っています。
陶器について基礎から勉強できる場所も、意匠研究所とか多治見工業高校の専攻科っていう良いところが近くにある。 だから焼き物について学びたい、っていう人が全国から集まってくる『焼き物の聖地』なんだよ」
どうなる?美濃焼の未来!?奮闘する若手作家たちの勢い
美濃焼には「昔は作れば作っただけ売れた」という時期もあれば、苦境に立たされた時期も。 そんな隆盛と衰退を知る作陶家だからこそ、美濃焼の未来を真剣に見据えています。
美濃焼の世界は厳しい競争の世界の一面もあり、その中で若手を育成していくことが課題となっています。
加藤 「美濃焼を学びたくて土岐市に来てくれる人もいてね。 それで僕を訪ねてくれる人も少なくないのよ。それで陶器に関する相談をしたり、人を紹介したりもするわけ。
それで一番聞きたくないのが、『先生、私(地元に)帰ります。』って言葉です」
高井 「美濃焼の作家として食べていけないってことですよね」
加藤 「そうそう。美濃焼で生活ができない。こっちで全部購入するわけにもいかないし、なんとも言えない気持ちになるなぁ」
水野 「でもさ、その若い作家の作品を加藤さんが買ったとしても、それって根本の解決にならないでしょ。 一時的に売上が出ても、安定した収入につながるかと言えばそうじゃない。 美濃焼はものすごく広い幅がある中で、そこは競争力を身に着けていけないと。 焼物が好きっていうだけじゃ生き残っていけないんだよ」
加藤 「それでも寂しいよ。頼ってくれた若い子たちもいたしね。それでも若い子の中にはインスタグラムとかSNSを上手に活用してる子たちもいる。 やっぱりこういう子たちのやり方とか、話しを聞くのも勉強やなぁ、と思う」
安藤 「若い頃は売上を上げるのも大変ですからね。 うちは状況がちょっと違いますけど父親から事業を引き継いだとき従業員が30人くらいいて、やっていけるのかな? って不安は大きかったですよ。
でも今は行政として美濃焼をプッシュしていこうみたいな機運がありますよね。
展示会とか見本市の開催とかにかかってくる経費の一部を補助してくれる、みたいな制度もあるみたいです。
行政とも上手く連携すれば、加藤先生の言うような若手作家さんたちの中にも救われた人がいるかもしれませんよね」
高井 「多くの作家さんが活躍すれば、美濃焼の発展にもつながりますしね。
僕も、もともと親が陶器に絵を付ける仕事をしてて、本当に忙しく働いている姿を見てきました。 だから家の仕事なんて絶対継ぐのは嫌だったんです(笑)。大変なのは分かってましたから(笑)。
でも親が倒れて、家業を継ぐことになりました。最初は期間限定で5年だけやるつもりでね。 それが少しずつ事業が上手くいくようになって、ここまできちゃいましたね。
今ではSNSもけっこう活用して、しっかり情報発信もやっています。
そのおかげで商品を知ってもらえて、ネット通販で購入いただいたり、工場横の直営店まで足を運んでもらったりもしています」
加藤 「SNSとかは全然わからないから教えてもらわないと。この年になっても勉強することばかりだね」
TOKI MINOYAKIで美濃焼をもっと多くの人に
TOKI MINOYAKIは実際にたくさんの美濃焼作家の作品が並ぶ場所です。そこをどう活用していくのか。またイオンモール土岐でたくさんの人の目に触れる機会が増えるのは喜ばしいと話してくれました。
加藤 「陽山窯(水野さん)はインターネット販売とかやってるの?」
水野 「やってますよ。ふるさと納税の返礼品にも参加してます」
加藤 「みんないろいろやってるんだね」
水野 「やっぱり売り方も大事なんだよ。作品をこっちが値付けするでしょ? こっちが感じてる価値っていうものが金額に変わるわけ。 その金額で買ってくれた人っていうのはその価値を作品に感じてくれてるってことだから」
安藤 「月並みですけど、その価値を感じてくれたのってやっぱり嬉しいですよね」
加藤 「TOKI MINOYAKIではいろんな作家さんの作品が並ぶんだよね?これって若い人にとってもチャンスだと思うよ。 買ってもらうためにはまず見てもらわないと。 美濃焼の作家とお客さんをつないでくれる場所として、TOKI MINOYAKIには期待してるよ」
水野 「イオンモール土岐に来てくれた人がTOKI MINOYAKIで作品を見て、陶芸家の作品を買ってくれたらいいね。 個人個人ががんばってくれたら、それが結果的に美濃焼というものの良さが広まっていくことになるよね」
同じ美濃焼の世界の中で、その広い定義ゆえにそれぞれ特色の違う美濃焼をつくり続ける4人。
これからの美濃焼の担い手への期待を寄せながら、イオンモール土岐とともに美濃焼を発展させていこうと今日の座談会はお開きとなったのでした。

知山窯 安藤 統 氏
1926年に創業。「美濃焼といえば黄瀬戸や志野、織部だが、 美濃焼ってそれだけじゃない。オリジナル商品をつくりたい」と思い。
3代目を継ぐ、オリジナル商品の製作に乗り出した。
それまで培ってきたブルーのうつわと赤絵の技術を発展させ、 オリジナリティを追求。食卓をパッと華やかに演出する目の覚めるようなブルーが特長の「CHIZAN BLUE」等、知山窯を代表するオリジナル商品を世に出している。

玄保庵 加藤 保幸 氏
元々上絵付けを営む家庭に生まれ、 中学を卒業してしばらく家業を手伝いながらセラテクノに絵付けの 勉強に励む。絵付けの傍ら、造形も自分で行うようになり、 陶芸家として絵と形のバランスを追及し日々作陶を行う。
また、作陶以外でも古民家風のギャラリー&茶せんラテ店をオープンし、 自らも店にたち、美濃焼を軸に人と人をつなげている。

作山窯 髙井 宣泰 氏
1987年に自身の想いを自由に形にしたいと思い作山窯を立ち上げ。
大学でインテリアやスペースを生かす空間デザインを学んだのち、 岐阜市で就職。24歳の時に故郷の土岐市へ戻り、 やきものづくりに携わることを決意した。
日常の中で使ってもらえるうつわを作ることにこだわりを持っている。

陽山窯 水野 雅之 氏
陽山窯3代目。初代、2代目と皇室に美濃焼を献上してきた由緒ある窯を 守りつつ、オリジナルの紫志野、古美濃、美濃山を創作するなど、 幅広い活動を続けてきた功績が認められ令和元年、美濃陶芸協会による 「第37回 卓男賞」を受賞。日ごろ、作陶や個展を中心に活動を行い 自らも個展では積極的に立ちお客様との会話も大切にしている。

